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タルスキのウィーン学団との交流

どのような交流があったのでしょうか。

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1929年秋、ウィーンより数学者カール・メンガーがワルシャワに招かれ、一連の講義を行った。メンガーは、当時論理実証主義運動を先導していた「ウィーン学団」の中心的メンバーであり、このとき知り合ったタルスキの仕事に興味を持つようになる。このメンガーの招きにより、1930年、タルスキはウィーンを訪れる。ウィーンで集合論やウカシェヴィチの三値論理に関する講義を行ったタルスキは、出席していたウィーン学団のメンバーに多大な影響を与えることとなった。

特にクルト・ゲーデルとルドルフ・カルナップに深い感銘を与えたことは特筆に値する。当時まだ博士論文を提出したばかりだったゲーデルは、ウィーン学団の基本理念には賛同していなかったが、学団の会合やセミナーには参加していた。その関係でタルスキの講義に接したゲーデルは、このときタルスキと個人的に会い、博士論文で証明した一階述語論理の完全性定理について報告している。この定理は、後にタルスキによって発展させられたモデル論において、重要な意味を持つことになる。

またカルナップは、タルスキのメタ数学的手法をこのとき吸収し、これは後のカルナップの言語哲学に大きな影響を与えた。タルスキ、ゲーデル、カルナップの三人は奇しくもその後アメリカに渡り、そこで再会を果たすことになる。

1931年2月、タルスキはゲーデルより書簡を受け取る。この書簡でゲーデルは、後に不完全性定理として知られる結果について報告している。このころ、形式言語における真理定義について研究をすすめていたタルスキは、自らも不完全性定理まであと一歩のところまで迫っていたため、この結果に衝撃を受けた。タルスキとゲーデルは友人同志ではあったが、タルスキは終生ゲーデルをライバル視していたという。

1933年、W・V・O・クワインがワルシャワを来訪。クワインはこの直前に博士号を取得したばかりで、ヨーロッパ各地の哲学研究グループを来訪して回っている途中であった。このときクワインと親交を結んだことが、後のタルスキのアメリカ行きを決定付けることになる。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2008年12月19日 19:28に投稿されたエントリーのページです。

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